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7回忌法要
先日、母の命日でした。
食洗器のお役御免を言い渡した時に
今年は、7回忌にあたるのだと気づき
例年になく、命日を意識していました。
わたしは
命日の前日、急に思い立ち
Yさんを誘って7回忌法要をしようと
決めました。
このYさんというのは
我が家から引っ越した母が住んでいた
アパートの住人です。
はっきりした顔立ちに赤い口紅。
裏表なく、はっきりモノを言うけれど
情のある世話好きな大阪人。
母と同世代のおひとりさまです。
母がアパートに住んだのは半年ほどですが
母の病院等への送り迎えだの
日用品や食品を持ってきたりだの
母の部屋に出入りするわたしも
自然に話をするようになりました。
引っ越し後まもなくアパートの人に
迷惑をかけることがあって
母が初期の認知症であることも
話していました。
Yさんに会うと、世間話に始まり
わたしは
引っ越しに至る経緯や母の人生を
娘としての葛藤や今後の不安を
口にしていて
Yさんは、二号さんとして生きてきた
ご自分の話を赤裸々にしてくれました。
酸いも甘いもかみ分けた人でした。
母のことを気にかけ声をかけてくれ
母のいいところを見て
「あんたのおかーちゃん、スキやで」
と言ってくれました。
そう言われ、当時のわたしは複雑でしたが
今思うとその言葉、嬉しかったんですね。
母が足を骨折して
サービス付き高齢者住宅に入居する
ことになり、アパートを退去する時にも
片付けを手伝ってくれました。
その後もたまに
わたしがYさん宅を訪ねたり
おたがい電話をして近況報告をしたり
ゆるくゆるーくつないでいた関係でした。
母の故郷ではない、この地で唯一
母を知っている人で、わたしが母のことを
安心して話しできる人だったのです。
わたしが再就職してからごぶさたで
Yさんに会ってお茶でもして話がしたい
母の思い出話をする7回忌法要がしたい
Yさんにお誘いの電話をかけると
現在使われておりませんのアナウンス。
アパートを訪ねました。
別の方が住んでいました。
大家さんに電話をしました。
・・・・・亡くなられていました。
残念です・・・・・
法要をしようと気持ちが動いたことで
わたしの心の変化を
少し感じることができました。
−54ー
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親を看取る時の不安
3年9カ月の同居生活を経て
母は我が家から引っ越して別居しました。
そして最終的に
サービス付き高齢者住宅に
入居することになりました。
病んで老いてゆく母を目の当たりにしながら
大嫌いなこの人を看取ることになったら
わたしは一体どうするのか・・・
どうすればいいのだろうか・・・
そんなことを心配し始めていました。
今まさに臨終の際には
「そっと母の手を握って感謝を伝える」シーンが
浮かんでくるのは、テレビや映画の影響でしょうか。
誰かにそうしなさいと言われたわけでもないのに
人として「こうあるべき」だと思う自分がいました。
だけど、そんなのムリ。むり。無理です。
わたしはもう、母と1台の車に同乗することさえ
身体が受け付けなくなっていました。
母への感謝の気持ちを絞り出して
言葉にする想像をしただけで吐きそうでした。
でも、「こうあるべき」でなければ
母の人生は誰にも認められないのではないか
わたしは一生後悔するのではないか
そう思うと、苦しくて苦しくて苦しくて。
母の通院の待ち時間に
付き添ってくれた担当の看護師さんに
ふと、その思いをもらしました。
すると、その看護師さんは
「あるがままでいいのよ」
そうおっしゃったのです。
「どんな看取り方であっても後悔はつきもの。
親の死に目に会えなかった後悔。
もっと○○してあげればよかった後悔。
後悔も含めて、親に対して
こどもそれぞれの思いがあって
複雑な感情があるもの。
その時の、自分の、感じるまま、でいいのよ」
この言葉にどれだけ救われたことか。
わたしのひきだしに大切にしまっています。
−46ー
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理想と現実のギャップなんてあって当たり前
わたしは新卒で就職してから
「自分の好きなことをやって、人が喜んでくれる仕事ってないのだろうか」
と、考えるようになっていました。
社会に出て知った理想と現実のギャップ。
就職した障がい者施設には、ラグビーチームみたいに
「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」
何かにつけ口にされるスローガンがありました。
地元では障がい者運動の草分け的な存在の施設で
福祉の仕事に情熱や夢を持った職員がいましたが
障がい者ひとりひとりの抱える問題の複雑さ深刻さ
家庭や地域や国への働きかけや日々の業務の煩雑さ
仕事は大変でした。
先輩職員が
先のスローガンを口にしながら
自分を犠牲にして、文句や愚痴を言い
人のために、と働くのを
若いわたしは
そんなの偽善じゃないか
と冷めた目で見ていました。
そしてその、冷めた眼差しは
自分にも向けられます。
自分自身に感じるギャップ。
小学校の卒業文集に「将来の夢は保母さん」
と書いていたわたしは、自分のことを
世話好きで思いやりのある優しい人だと
思っていたのですが、大間違いでした。
人のために何かすることで
自己肯定感を得ようとしている
自分に気づいてしまったのです。
同時に
わたしには
善悪の判断基準になるものが
まったく育っていないことにも
気づかされます。
無責任で、自分勝手で、ずるくて
嘘つきの、サイテーな自分。
悩んでいた当時のわたしに
今のわたしが声をかけるなら
「ジブン、なんぼのもんやねん」
「自分のサイテーさを受け入れ、今はその現実を生きるしかないで」
「理想と現実のギャップなんてあって当たり前」
「矛盾を抱えながら人は生きていくねん」
なーんて、言っちゃうかもねー。
でも、当時のわたしは居たたまれず
仕事を辞める決意をするんです。
働き続けることができなかったけれど
障がい者施設で働いた4年間には
わたしの人生に大きな影響を与えた
出来事がたくさんありました。
この施設では入所者を仲間と呼んでいて
仲間たちは、わたしが恥ずかしくなるほど
まっすぐで、正直で、優しかった。
今となってはすべてが良い思い出です。
そして
「自分の好きなことをやって、人が喜んでくれる仕事ってないのだろうか」
あの日の思いを解禁できる日が来るなんて(泣)。
やっと
理想と現実が一致してきているような
わたしがわたしに近づいてきたような
そんな気がします。
−21−54ー
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決めつけない生き方
2ヶ月ほど前に
pha(ファ)さんの『持たない幸福論』
という本を読みました。
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎文庫)
「同感やわあ」が、ざっくりした感想。
いまどきは
こんなゆるっとした生き方を主張する本が
出版されるようになったのだなあ。
わたしが社会人になったばかりの頃には
出会えなかった内容の本だと思う。
自分とおんなじことを考えてる人が
他にもいるって、めちゃ心強い。
ひとりだけじゃないって思うと
勇気がわいてくる。
若くはなくなったけど、わたし
今の時代を生きれてよかったなあ。
インターネットの普及で
仕事や生活に
いろんな可能性や選択肢が
増えてきていることや
普通の人が
気軽に発信できるようになって
自分と同じような思いや考えの人と
つながれるようになったこと。
これって、すごいことだなあと思う。
下り坂に向かっていくわたしにも
まだいろんな可能性があるって
信じることができる。
決めつけない。
決めつけられない。
流動性のある生き方をしていきたいな。
−54ー
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好きなことだけしてて、いいんじゃないの
まだまだわたしにも
時間を忘れるくらい夢中になって
周りのことなんて気にしないで
自分の世界に没頭したい
こどものような欲求があるんだなあ。
多様性の認められる時代になってきた
と言っても、世の中には
大多数の人に良しとされている
考え方や価値観があって
その大多数と自分が違っていると
「自分は間違っているのではないか」
「自分はおかしいんじゃないか」
と、思ってしまいがち。
だけど
いいとか、悪いとか
正しいとか、間違ってるとか
常識とか、非常識とか
道徳とか、不道徳とか
ジャッジする前に
「好きなことだけしていたい」
って、ド真剣に思う自由くらい
あったっていいんちゃうかな。
「そんなことを思ってはいけない」
って、素直な気持ちを感じることさえ
自分に禁止していたんだなあ。
ああ、可哀そうなことをした。
ごめんよ、わたし。
だから
「好きなことだけしていたい」
というわたしの思いを解禁しました。
ほんまはわたし、働きたくないねん。
好きなことだけしてたいねん。」
そう切々と訴えるわたしのありのままを
自由に好きなことだけしていたいわたしを
「そうかー」
「それならそれでー」
「いいんじゃないのー」
って、わたしがわたしを許しました。
そしたら
長女が、いえ、誰であっても
好きなことをしている人を
暖かに見守る気持ちになれて
そればかりか
働きたくないって言ってたのに
プチサラリーマンとして
働くことになったんだよね。
ほーんと、不思議。
−51−52ー
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