わたし人生史上、一番泣いた日

その場にいる誰より、わたしは泣いていた。

Iさんのお葬式は、自宅での家族葬だった。

 

お身内とご近所の方を合わせて10人ほどが

気気鵑僚擦鵑任い織魯ぅ弔忙歌鵑靴拭

 

わたしは、お通夜にもお葬式にも

娘2人を連れて行った。

 

Iさんは、わたしの娘たちにも

お菓子やおもちゃを持ってきてくれたり

ほめ言葉をかけてくれたりした。

 

愛情深く、与えることを惜しまない人だった。

 

Iさんが、母とわたしにしてくれたこと・・・

 

母と友達になってくれたこと。

母の部屋に遊びに来てくれたこと。

母のことを本気で「好きやもん」と言ってくれたこと。

母の長所や恵まれていることを率直に言葉にしてくれたこと。

母と仲が悪いわたしに説教したり、責めなかったこと。

母に、わたしの車を買い替えてあげるように言ってくれたこと。

母と一緒に、高齢者施設の見学に行ってくれたこと。

母に一人暮らしを勧めてくれたこと。

母の借りるアパートの内覧や契約に同伴してくれたこと。

母のアパートに足繁く通ってきてくれたこと。

母に認知症の検査を受けさせるため、病院に付き添ってくれたこと。

母名義の預金の解約のため、母と郵便局に居てくれたこと。

 

・・・たくさん、たくさん、ある。

 

Iさんと一緒に居る母は、気持ちが穏やかで

文句を言いつつ、Iさんの言うことは聞くのだ。

 

わたしは、母とわたし2人きりになることに

耐えられない精神状態になってしまっていて

 

本人が行かなければならない病院や

本人確認の必要な手続きに、母を連れ出すのが困難だった。

 

わたし一人では、絶対にできなかったことを

必要なことの全部を、気気鵑呂笋辰討れた。

 

Iさんに、感謝しても感謝し尽くせない思いが

あふれてきて、わたしはお礼の手紙を書いた。

そして、棺の中のIさんに手渡した。

 

しゃくりあげ、ボロッボロになって泣いている

わたしの顔を、娘が心配そうに見上げていた。

周囲の視線も感じたけど、どうしようもできない。

ハンカチなんて、何の役にも立たなかった。

 

お葬式には母も参列していたはずなのに

母のことが全く思いだせない。

 

わたしの母親はIさんだったんじゃないか、、、

マジで思ったくらい、泣いた。

母がかわいそうになった

母と一緒に暮らし始めたけれど

 

お互いに干渉し合わない距離感や

良好な関係に変化する可能性を

持てないまま

 

同居して4年目には

母に認知症を疑う症状が出はじめた。

幼児がいる家庭が壊される恐怖を感じた。

 

万事休すで、袋小路に入ったわたしを

助けてくれたのがIさんだった。

 

8月も終わりに近づいた日のこと。

わたしの携帯に、Iさんからの着信。

携帯に出ると、会ったことがない

Iさんの娘さんだった。

 

身構えたわたしに知らされたのは

Iさんが今朝亡くなったという訃報。

 

Iさんの家は、わたしの家から歩いて2分。

そういえば早朝、救急車のサイレンを聞いた。

 

Iさんは86歳と高齢だったけど

めちゃ元気だった、あまりに突然すぎる。

 

わたしは、動揺しながら娘さんのお話を聞いて

すぐに、母のアパートに電話をした。

 

3ヶ月前に、我が家から引っ越した母は

近くのアパートで1人暮らしを始めていた。

別居が実現したのはIさんのおかげだった。

 

訃報を告げると、母は「えええ?!」と驚き

電話の声だけで十二分に伝わってくるくらい

ショックを受けているのがわかった。

 

知らせた時間に母のアパートへ迎えに行くと

母は、何の準備もしていなかった。

わたしが「お通夜に行くよ」と言うと

母は「誰の?」と言った。

 

あれだけ驚き、ショックを受けていたのに

母はもう忘れていた。

 

もう一度Iさんが亡くなったことを伝えると

初めて聞いたかのように、母は驚いた。

わたしは、母がかわいそうになった。

 

そして、Iさんの亡き骸を見て

3度めのショックだ。

 

忘れてしまうがゆえに

大切な人が亡くなったショックを

何度も味わわなければいけないなんて。

 

わたしは、たぶん初めて

母をかわいそうだと思った。

小豆バーが食べたくなる季節

毎年、8月が終わりに近づくと

Iさんを思い出します。

 

この人がいなかったら、わたし

どうなっていたのだろう。

 

わたしたち母娘に

積極的に関わってくれて

具体的な行動で

わたしを助けてくれた恩人。

 

母にとっても

引っ越し先で初めてできた友達で

心を許せる特別な存在だったと思う。

 

 

10年前の夏

認知症の症状が出始めた母の

終の棲家を探すため

わたしは奔走していました。

 

母にこの話をしようと思うと

見捨てられ不安の強い母の反応が

手に取るように想像がついて

話す前からしんどくなった。

 

そもそも

昔っから対話が成立しない人なうえに

同居後は、気に入らないことがあれば

すぐ「田舎に帰る」と言う母。

 

わたし1人では

母を連れ出すのは困難でしたが

サービス付き高齢者住宅の見学を嫌がる母を

「私も見たいもん」

と、気気鵑上手に誘ってくれて

3人で見学に行くことになりました。

 

案の定、見学先では責任者の方を前にして

気に入らないところを並べ立て、毒づき

「ここは施設や。施設には絶対入らへんっ」

頑な母に、苛立つ娘。

 

見学の帰り、車の中で口喧嘩を始める母娘に

「なんでこんなことになるの、2人ともやめて」

いたたまれなくなったIさんが

「ちょっと、車停めて」

と言って、わたしと母を置いて行った。

 

戻ってきたIさんが

「まあまあ、2人とも、これでも食べな」

と、差し出したのが、〇村屋の小豆バー。

 

スーパーの駐車場に停めた車の中で

3人で食べる小豆バー。

 

Iさんの優しさが心にしみて。。。

 

小豆バーを見るとIさんを想い

Iさんを想うと小豆バーが浮かびます。

 

86歳のIさんが亡くなったのは、その夏の終わり。

 

わたし人生史上、一番泣いた日でした。

ねじれた表現

母の行動パターンに気づき

あるのにないという不可解が解明されました。

 

母が2階の自分の部屋から下りてくるのは

3度の食事時。

小腹が空いた時も下りてきます。

 

冷蔵庫のヨーグルトや果物や食パンなど

そのままで食べられるものはなくなっています。

 

冷蔵庫の食材を使っていいのか

遠慮しているのではないのです。

料理をする気がないのです。

 

要するに

娘に昼食を作ってほしかった

ということです。

 

こないだまで働いていた68歳の母が

わたしに世話されることを期待しているなんて

思いもよりませんでした。

 

引っ越してきたのがお盆休みで

わたしが3度の食事を用意していたので

味を占めたのでしょうか。

 

しかしながら、冗談じゃあない。

母の昼食のために

わたしの行動が制限されるのはごめんだわ。

 

わたしは母に

 

わたしは、買い物や用事で出掛けることもあるから

昼食は、お母さんが食べたい時に食べたいものを

自分で用意してほしい

 

と言いました。

 

無言だったところをみると、図星だったんだろうね。

母の部屋に、母専用の冷蔵庫を置くことも提案しました。

 

けれども

母の機嫌が良くなることはありませんでした。

あるのにないという不可解

さて

引っ越したてのお盆休みの間は

夫も長女も休みなので

毎日昼食を作りました。

 

お盆休みが終わってもしばらく

母とわたし、2人分の昼食を作っていました。

 

そのうち、買い物や通院などで

わたしも外出して正午を過ぎて帰ってくる

ことも増えてきました。

 

わたしが外出から帰ってくると

2階から下りてくる母が不機嫌なのです。

そして、冷蔵庫を開けて

「何にもない」と言うのです。

冷蔵庫に食材が入っているのに、です。

 

わたしは、不可解な母の言動に悩み

夫に相談してみると

「冷蔵庫の食材を勝手に使っていいのか、気を使ってはるんちゃうか?」

と言います。

 

なるほど!

お互いルールも決めてないし

そんなこともあるかと思い

「冷蔵庫にあるもん、勝手に使っていいからねー」

と声を掛けるようにしました。

 

けれども、相変わらず一連の行動が続きます。

 

ドスドス足音を響かせ、階段を下りてくると

冷蔵庫を開け、何やらブツブツ文句を言い

不機嫌なオーラを放ちながら

バン!と引き戸を閉め、自分の部屋にこもります。

 

わたしのストレスは日毎に高まっていきました。

 

そのうち

母の行動パターンと

ねじれた表現がわかってきました。