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ブログタイトル「あるもんで」の意味 その2
若い頃は、自分が大嫌いで
高い理想を描いて、現実とかけ離れた自分になろうと
エネルギーを使って擦り切れてましたね。
40も半ば過ぎて、やっとですよ(笑)。
夢から覚め、現実を直視しました。
これから先の自分の人生なんてたかが知れている。
先が見えた感じでした。
特別な何かになんてなれない。
自分以外の誰かにはなれない。
自分が持っているものでしか勝負できない。
これからは、自分の持ち味・長所・強みに目を向けて
「あるもんで」輝くために、エネルギーを使っていきたい
という思いを込めています。
以下、加筆しました(2022年5月18日)
5年前、自分の書いた文章に、つっこんだ。
もともと、自分って特別な存在なのに
「誰」と「何」と「勝負」する気だったんだろ?
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ブログタイトル「あるもんで」の意味 その1
冷蔵庫に「あるもんで」わたしは料理を作ります。
これは料理上手のベテラン主婦だからではありません。
(やっぱり)
面倒くさいから・・・
節約のため・・・
否定はしませんが、それだけが理由ではありません。
(と信じたい)
わたしは、レシピに記載されている食材を
すべて揃えて作り始めるということを
ものすごく窮屈に感じるんです。
だいたい、家に残っている食材を使って、作る料理を考えます。
レシピにある食材が足らなくても、それはそれとして作り始めるので
じゃがいもの入ってない肉じゃがとか、よくあります。
「それ、肉じゃがちゃうやん!!」
家族にも突っ込まれます。
でもねー、「あるもんで」やってみたいんですよね。
普段組み合わせない食材で、意外にイケる一品が出来たり
想像もしない出来上がりになったりするんです。
同じモノは2度と作れませんが(^_^;)。
なければないで「あるもんで」工夫をする、その過程が楽しいな。
買う前に「あるもんで」何とか間に合わないか、考えてみるのが好き。
料理を例にしましたが、その他のことでも同じです。
そういえば、小学生の時からそうでした。
「あるもんで」
自分らしさを表現する代表の言葉として選びました。
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ブログのテーマ
ざっくりしてますが
わたしの日常生活での体験や感じたこと
また、過去の経験や気づきなんかを
書こうと思います。
特に、わたしの人生において
メガトン級の悩みであった実母との関係について
書きたいと思い描いてはいるのですがー。
何から書けばいいのか
時系列で書けばわかりやすいのだろうかとか
具体的に書く内容を考え出すと
もうすでに書き始めるのが億劫です(^.^;)。
それに、書きたいことが書きたいように
書けるだけの文章力があるのか?
これも自信がありません(T_T)。
なので、まずは、思いついたことを
その時のタイミングで綴っていく
かたちになると思います。
わたしのひきだし(人生経験)が
どなたかのお役に立つことがあればいいなー
と思っています。
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自己紹介
わたしについて
・50代女性
・関西出身
・夫と娘2人の4人家族
・しばらく専業主婦をしていましたが、良いご縁をいただき、傾聴の仕事を始めることになりました。
そんなわたしの生まれてから今日にいたるまで歩んできた道のりです。
< 幼い頃 >
四方を山に囲まれた関西の田舎で生まれました。
母が3才のわたしを連れて離婚、母子家庭で育っています。
母は、家庭に起きた生活の変化を、こどもにもわかるように説明出来る人ではなかったので
周囲の大人たちの話などから自分の置かれた身の上を理解していました。
体も大きかったのですが、精神的に早熟なところもあったように思います。
<部活に支えられた学生時代>
母が安定した職につき、経済的な苦労を感じることはありませんでした。
荒れることもなく、勉強も運動も友達づき合いもごく普通だったと思います。
でも、素直に感情が出せなくて、いつも心にふたがされているような重苦しさを感じていました。
また、喜びも苦しみも共に出来る深い人間関係を求めていたのでしょうか。
部活で得たものが、わたしの人格の基盤になっているように感じます。
<社会人になって生き辛さを感じた20代>
学校卒業前、働くことに強い不安を感じていました。
卒業後は障害者施設に就職。
その後、保育園やスイミングスクール、幼児教室などでこどもと関わる仕事に携わりました。
料理教室や、趣味を活かして呉服店で働いた経験もあります。
転職を重ねてしまう自分、恋愛や友人関係にも行き詰まりを感じ始めました。
<乳がんの手術をきっかけに、生き辛さの原因に気付いた30代>
無職で実家暮らしの時に乳がんの手術を受けることになりました。
死への恐怖は一瞬だけで、わたしの心を占めたのは母の存在、母の一挙一投足でした。
その時に、生き辛さの原因が母であることを自覚することとなりました。
術後に出会った夫と結婚、長女の誕生、怖いくらい幸せな毎日を過ごしていました。
母とわたしの間には程よい距離感が保たれていたのです。
<原因である実母との関係に向き合った40代>
母との同居で、ご機嫌だった生活は壊れ、幼い娘たちにも影響を与えていきました。
自分一人では抱えきれなくなり、家族も含めいろんな人に話をするのですが
理解してもらえず、さらに心は傷つき、身体にも不調が現れました。
カウンセリングを受けて、傾聴の力を知ったのがこの時です。
その後も、心理学の本を読んだり、ネットで得た情報を使って、自分を癒やしてきました。
<様々な呪縛から解放され始め、人生が楽しめるようになってきた50代>
自分の感情や感覚を、ストレートに感じて大切に出来るようになってきました。
大きく深く呼吸が出来るようになり、身体の緊張も緩んできています。
何かをやりたいというエネルギーがふつふつと湧いてきていることを感じます。
そして何より、娘たちとの関係が安定し、家族の絆が強くなったと思います。
今、この時、この瞬間を、味わいながら過ごしていきたいです。
このブログでは
母を受け容れられない自分に罪悪感を抱きながら大人になったわたしが
アラフォーで結婚し子育てしながら実母との関係に悩み苦しんだ日々を振り返りつつ
現在の生活を綴っています。
娘たちはまだ小学生と中学生。
子育てのこと、家族のこと、家事のこと、仕事のこと・・・etc
わたしの日常生活のあれこれを記事にしていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
2017年5月
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