好きなことだけしてて、いいんじゃないの

まだまだわたしにも

 

時間を忘れるくらい夢中になって

周りのことなんて気にしないで

自分の世界に没頭したい

 

こどものような欲求があるんだなあ。

 

多様性の認められる時代になってきた

と言っても、世の中には

大多数の人に良しとされている

考え方や価値観があって

 

その大多数と自分が違っていると

「自分は間違っているのではないか」

「自分はおかしいんじゃないか」

と、思ってしまいがち。

 

だけど

 

いいとか、悪いとか

正しいとか、間違ってるとか

常識とか、非常識とか

道徳とか、不道徳とか

 

ジャッジをする前に

 

「好きなことだけしていたい」

って、ド真剣に思う自由くらい

あったっていいんちゃうん。

 

「そんなことを思ってはいけない」

って、素直な気持ちを感じることさえ

自分に禁止していたんだなあ。

 

ああ、可哀そうなことをした。

ごめんよ、わたし。

 

だから

 

「好きなことだけしていたい」

 

というわたしの思いを解禁しました。

 

働く自信がありません

ほんまはわたし、働きたくないねん。

好きなことだけしていたいねん。」

 

そう切々と訴えるわたしのありのままを

自由に好きなことだけしていたいわたしを

 

「そうかー」

「それならそれでー」

「いいんじゃないのー」

 

って、わたしがわたしを許しました。

 

そしたら

 

長女が、いえ、誰であっても

好きなことをしている人を

暖かに見守る気持ちになれて

 

そればかりか

 

働きたくないって言ってたのに

プチサラリーマンとして

働くことになったんだよね。

 

ほーんと、不思議。

母親の仮面

長女は

 

あれやりたい、これやりたいと

強く主張をしないのですが

いろんなことをやらせてみても

結局のところ、自分の

 

好きなことしかしないのです。

 

そんな長女に対して

湧いてきたネガティブな感情は

嫉妬・・・。

 

こどもへの嫉妬です。

 

わたしは

 

自分のやりたいことだけ

無心にやっている長女が

 

うらやましかったのです。

 

わたしが我慢していることを

本能的にやっている長女が

 

ねたましかったのです。

 

だって

 

こどもは好きなことだけしている。

 

わたしは

 

母親の仮面をつけて

長女をコントロールしよう

としてきましたが

その仮面の下にいたのは

 

抑圧されたこどものわたし。

 

人って

 

自分が我慢していることを

何の遠慮もなく人がすると

 

腹が立つんですね。

 

腑に落ちました。

 

腑に落ちて、脱力しました。

 

「いいんじゃないの〜」って。

 

続く

こどもへの嫉妬

「好きなことだけしていたい」

 

わたしの根っこにあった思いを

ありのまま認めることができた

きっかけは長女でした。

 

わたしには、娘が2人いて

 

長女は、受動的だけど

実はこだわりがあってマイペース。

 

次女は、好奇心いっぱいで

新しいこと、楽しいことが大好き。

 

この、性格の違う2人に

勉強やお手伝いの習慣をつけようと

あの手この手を使ってきましたが

長女にはあまり効果がありませんでした。

 

次女は

目先に楽しいことがあれば頑張るタイプ。

特に、お菓子やおこづかいなどの

ご褒美があれば、やる気満々。

 

だけど

 

長女は

やる気スイッチが見つからないのです。

いっとき、ご褒美目当てに頑張っても

手に入れるところまで執着が続かない。

 

親にとって扱いやすい次女が

良く評価されて

親の期待する結果の出ない長女は

ずっと認められない

 

という悪循環が続いたこともあり

長女が中学生になった頃には

あの手この手を引っ込めました。

 

長女が中1の時だったか

フツフツフツフツと

長女に対して湧き上がってくる

ネガティブな感情がありました。

 

長女が

テスト前なのに勉強しないで

ずっと読書に没頭しているのです。

名前を呼んでも返事もしない。

 

本に夢中になるのは小さな頃から。

 

わたしは今さらながら

 

ああ、そうだ、そうなんだ。

長女は昔からずっとおんなじなんだ。

ご褒美があろうとなかろうと関係ない。

好きなことしかしないんだ。

 

あらためて思ったんです。

 

そして

 

やらなければいけないことを差し置いて

好きなことだけをむさぼり楽しむその姿に

穏やかならぬ感情が湧いてきているのを

わたしは感じていました。

 

すぐにはわからなかったその感情は

 

嫉妬・・・でした。

わたしの本心

サラリーマンに向いていないなら

あなたは、どうしていたいの?

 

この問いに対する答えならば

すでに出ています。

 

「好きなことだけしていたい」

これがわたしの本心です。

 

あ、あああーー!

こんなおばちゃんになってから

言うてもうたーーー。

 

「ええ年の大人が何言うてんの?」

そう思われますかね?

 

「この先の人生、そう甘くないよ」

そう言われますかね?

 

「そんな自分勝手は許されないよ」

そう諭されますかね?

 

「好きなことだけしていたい」

そう思っている自分に気づいたのは

新卒で就職してからかな。

 

30代、40代になっても

転職や自分の将来を考えるたびに

湧いてくる思いでした。

 

そしてその思いは

現実逃避の言葉として口にされて

夢物語に終わるのです。

 

仕事や人生について、人と語ると

 

「好きなことだけしたいなあ」

「そうそう、誰だってそうやん」

「それって理想やなあ」

「せやけど現実はなあ、、、」

 

たいてい、こーんな流れになります。

 

社会に出ると

 

好きなことだけしていられない。

それが組織で働くということ。

 

嫌なことや辛いことはあって当たり前。

それが世間に揉まれるということ。

 

だから

 

ここから逃げてはいけない。

 

イッツ ア スモールワールド

ぬくぬくと生きてきた

わたしにも

 

自分には絶対無理だと感じた時には

全力で逃げ切ってきた

わたしにも

 

「逃げてはいけない」

という信念があったのでしょう。

 

生き辛さの原因もわからず

何とか今いる社会に居続けるために

転職を続けてきたのかな。

 

最近では

 

好きなことを仕事にする人や

いろんな働き方や生き方をする人が

増えてきているようだけど

 

まだまだ

 

サラリーマンとして働くことや

その働き方をメインにした生き方を

積極的に、あるいは、消極的に

選んでいる人の方が多いはず。

 

淡々とサラリーマンをやっている人を前に

必死にサラリーマンをやっている人を前に

 

大マジメに

「好きなことだけしていたい」

なんて言えなかった。

 

わたしの根っこにあった思いを

ありのまま認めることができたのは

3年くらい前。

 

きっかけは、長女でした。

サラリーマンに向いていない

夫の脱サラ記念日からもうすぐ1カ月。

 

夫は、時間や組織から解放されて

ずっと緊張状態だった身も心も

少しずつ緩んできたようです。

 

わたし自身も

サラリーマンに向いていないので

のんびりしている夫を見ていて

解放感を感じています。

 

わたしが30歳前後だったでしょうか。

「このまま働き続けるのは、わたしには無理だな」

と思った瞬間がありました。

 

正社員として働いていたある日の

通勤の光景が目に焼き付いています。

 

朝から疲労を感じながら

わたしは電車に揺られていました。

 

ふと、顔をあげると目の前には

同じ時間に、同じ車両に乗る

同じ顔ぶれの、人たち。

 

定年間近と思われる男性や

わたしと同じ年頃の女性たち。

 

皆、目をつぶり首をたれて

揺れている。

 

こうやって

何年も何十年も

この生活を続けてきた人たちがいて

たぶんこの先も

この生活を続けていく人たちがいる。

 

皆、目をつぶり首をたれて

乗った電車に身をまかせながら

 

平凡に、堅実に、地道に、我慢強く

この生活を続けられる人がいるんだ・・・。

 

そう思った時に

「・・・わたしには無理だな」

漠然と感覚的に、でも、確信しました。

 

わたしは

 

それ以降も転職を重ねて

結婚、出産、専業主婦を経て

50代で再就職をしましたが

 

その確信は持ち続けています。

 

有難いことに、今の職場は

自分で探したわけではないのに

「ここなら、わたし頑張れそう」

という絶妙な条件が揃っていて

 

思いがけないチャンスを頂いた

ご縁に感謝の想いが溢れてきます。

 

と言いつつ

 

3日連続で出勤すると

仕事に行くのが嫌になります(笑)

 

え?そんなの、わたしだけじゃない?!

 

そだね。

 

ヒジョーに、現実的に考えると

娘2人が学生のうちは

この職場で働けたらいいなと

思ってはいるのですが

 

なにぶん1年毎の契約なので

いつ辞めることになるか

わかりません。

 

辞めたらどうしようかなあと

いつも考えています。

 

自分のたどり着きたいところは

今の仕事の延長線上には

ない気がするんです。

 

でも

「たどり着きたいところって?」

と聞かれても困ってしまう。

 

何となく、わかり始めているような

でもまだ言葉にするのはむつかしい

今のわたしです。

言葉にならない違和感

昨日はラグビー観戦しまして。

 

日本とスコットランド戦を観て

 

飛び上がって喜んだり

ハラハラドキドキしたり

手を合わせて祈ってみたり

 

気持ちが大きく動いて

試合終了後の疲労感たら

半端なかった。

 

脱サラ記念日を迎えて

気持ちが大きく動く

できごとが続いていて。

 

だからちょっと

タガが緩んでいるのかも。

 

できごとというのは

 

10月に入って

外国人のおもてなしをする

機会があって。

 

義実家とつながりのある

86歳の男性と

その方の息子夫婦が来日。

 

うちの家族4人と外国人3人で

1日を過ごしました。

当日を過ぎて後になるほど

疲労感が襲ってきました。

 

外国人夫婦を見ていて

ちょっとしたしぐさや表情に

言葉にならない違和感を感じた

わたしですが

 

言葉がわからないし

価値観も違うだろうから

違和感の中味がはっきりしなくて。

 

でも、我が家に帰って

彼らと接して

見て聞いて感じたことを

家族それぞれから聞いて

はっきりしました。

 

外国人夫がひどい奴だったんです!

 

妻が自分の財布を持ってない

って考えられる?

 

スマホは夫と共有とか

今どき、あり得へんやろ?

 

感情がぶり返してくるので

これ以上書けませんが

 

もう、とにかく

腹が立ったんだ、わたし。

「自立」と「依存」

けして、わたしは

世話好きな人間ではありませんと

前置きします。

 

朝に弱い夫は

数々のしくじりを重ねながら

生きてきています。

 

生活を共にするようになってから

わたしが夫の苦手な部分を助ける

ような恰好になりました。

 

家庭の中で

 

夫への思いやりでやってきたこと

わたしが好きでやってきたこと

何となくわたしがやることだと思って

やってきたことなど

 

わたしがやってきたことは

時の流れとともに変化しました。

 

こどもの成長とともに環境の変化があるし

夫婦それぞれも心身に変化がありますから

これからも変化するでしょう。

 

ですが

 

変化の中に、積年の課題が残っていました。

 

それが

 

夫の脱サラにより解放感を得た

↑ココ特に重要!とした点です。

 

朝、夫を起こすことは

わたしのやることではないと

常々思っていました。

 

だけど

 

事あるごとにわたしが意見しても

夫の強引な自己主張には勝てず

屈服させられた感じでした。

 

夫婦の関係には

潜在的な男性優位の考え方も

見え隠れしていました。

 

そして

 

朝起こすことだけではなく、他にも

渋々許容してきたわたしの好意の上に

夫があぐらをかき、図に乗った結果

今年の年明け、夫婦史上最大の

危機的状況を迎えました。

 

その後

 

「もうええかげんにしときます」

2019年 夫の誓いが宣言されて

現在に至りました。

 

家庭の中では

「自立」と「依存」

のせめぎ合いです。

脱サラ記念日

「今日でもう仕事を辞める」

と君が言ったから

九月三十日はダッサラ記念日

 

夫が今日を持ちまして

12年勤めた職場を退職します。

 

2年くらい前から仕事を辞めたいと

言い続けていた夫が、今年6月に

辞める意思を職場にも伝えました。

 

その直後、漠然とした不安を

感じていたわたしでしたが

 

不安の正体を暴き3か月を経て

 

わたしがどんな気持ちで

今日を迎えたかというと

 

夫に対して、お疲れさまと

労う気持ち・・・と

 

10月から消費税も上がることだし

家計を締めていかなきゃという

緊張感・・・と

 

家族で協力して

この転機を好機に変えていきたい

前向きな気持ち・・・と

 

そして、もうひとつ・・・

 

どんな気持ちでいるか

投稿するタイミングを

見計らっています。

 

8月のプロフィール更新前の

気持ちと似ているのですが

今回は気づいているので

無意識の抵抗ではありません。

 

今日一日、今日から明日、数日の

自分の気持ちを味わってから

言葉にして残したいと思います。

オーラが見えた

わたし、1度だけですが

オーラを見たことがあります。

 

・・・座敷婆(実母)のオーラです。

 

それは

同居を始めて3年目に入る頃

娘たちの保育園の運動会の日。

 

家族5人で出かける予定でした。

 

わたしは

朝からお弁当を作って

1歳と4歳の娘の身支度で

手いっぱい。

 

早くしないと

開会式に間に合わない。

早く出ないと

駐車場に車がとめられない。

 

時間的にも段取り的にも

夫がいないと困る状況なのに

ギリギリまで寝ている夫に

イライラを募らせていました。

 

さあ、もう車に乗って出発できる!

という時になって

2階から母が下りてきました。

 

開会式のマーチングに長女が出ます。

「遅れたらみんなに迷惑かける、、、」

わたしは焦燥感に襲われます。

 

「ああ、もうこれ以上待てない!」

わたしは、階段の途中にいる母に

「悪いけど、後で電車で来て」

と言って、家族4人で車で出発しました。

 

母は保育園には行ったことがあります。

保育園は、我が家の最寄り駅から2駅先で

駅から10分程度ゆるい坂を上ります。

 

「開会式に遅刻するから、ごめん」

ぐらいのことは言ったと思いますが

 

わたしには

細かい説明をする余裕も

母に配慮をする気持ちも

ありませんでした。

 

車で保育園に向かったわたしたちは

ギリギリ開会式に間に合って

無事、車もとめることができました。

 

夫婦で園児たちの演技を見ていた時です。

 

小さな運動場越しに

観覧席の間を進んでくる物体が

わたしの視界に入りました。

 

モヤがかかったような黒っぽい塊り。

 

え?何あれ?

 

わたしは、人差し指で両目をこすりました。

そして、目を凝らして見た先に

その、黒い塊りの中に、母がいました(驚)

 

黒い塊りはどんどん近づいてきます。

 

怒っています、見るからに怒っています。

声も顔も爪先から頭のてっぺん、髪の毛に至るまで。

 

普段から感じている

母の怒りのエネルギーを視覚化するなんて

わたし、第3の目が開いたのか?と

思ったものの、後にも先にもこれ1回限り。

 

夜逃げ旅行もそうでしたが

 

一緒に暮らすからこそ起こるすれ違いや

身近にいるからこそ感じる期待はずれの

できごとのひとつひとつが

母の孤独感、疎外感を助長させていった

のだろうなあと思います。

人生の変え方

わたしが50代になった時に

変わりたいと思っていた時に

見つけた記事です。

 

50歳以上しか採用しない会社の

社長が言った「人生の変え方」

 

コツコツ続けることの価値を

実感してます。