あまのじゃくのやる気スイッチ

わたしは

けっこう細かい作業が必要な

キャラ弁作りが性に合いません。

 

娘たちに

「作って、作って〜♪」と

せがまれてきました、特に就学前。

保育園でお友達の可愛いお弁当を見て

無邪気に要求してくるのです(笑)

 

だけど、わたしは

(キャラ弁作りに限らず)

期待されると、ことのほかしんどくて

頑張れないのです。

 

「ママはこういうの苦手やから」と

かわしてきました。

こういうのとは

細かい作業であることと

作ることを期待されることです。

 

娘たちは

そんな母を受け入れ

無理難題は言わなくなりました。

そうすると

ちょっと気持ちに余裕ができるのか

たまには

娘たちを驚かせて喜ばせたいと思って

作りたくなるのです。

 

あまのじゃくだと言われても

自分が作りたい時に作るし

やりたかったらやるのです。

 

自分の中から気持ちが湧いてこないと

やる気スイッチが入らないみたい。

 

そんなわたしが作った数少ないキャラ弁が

2016年度作・まっくろくろすけのお弁当。

2016年度作

見るからに作るのが簡単なので選んだのですが

娘たち、エラく喜んでくれた。

(普段与えてないのでね、笑)

 

かたや

小3の3学期から料理を始めた次女が

小5の運動会に自分で作ったお弁当が

2017年度作・まっくろくろすけのお弁当。

2017年度作

ママのキャラ弁が嬉しかったから

同じものを作ったとのことですが

ずいぶん挑戦的、上等やないか!

 

。。。。ああ、負けた。。。。

 

しかも

「ママ、まっくろくろすけ3個は量が多かった」

と言われる始末。

弁当箱の隙間をおにぎりで埋めたことも

バレていた(汗)。

 

でも、そんなんもこんなんも

自分発の行動で得た結果は

全部自分のモノ。

どんな結果でもヨシ!なのです。

お弁当あてクイズ

小6と中3の娘の運動会と体育大会が

今週、無事終わりました。

 

さて、運動会といえばお弁当ですね。

 

ここで、クイズです。

 

過去の運動会に

わたしと次女、それぞれが作った

お弁当の写真があります。

 

A

 

B

 

 

さあ、わたしが作ったお弁当は

AとB、どちらでしょうか?

 

答えは

わたしが作ったお弁当は・・・

Bでした(笑)

猫のいる原風景

私が猫好きなのは

原風景に猫がいるからかもしれません。

 

私が預けられていたおばあちゃんちで

猫を飼っていました。↓

田舎の家なので

どっからでも自由に出入り、

村の中や畑を気ままにお散歩。

 

猫は

 

お気に入りの場所でひなたぼっこしたり

お風呂を沸かす薪の灰の中で温まったり

寒い冬には人間の布団に入ってきたり

していました。

 

私も

 

友だちと一緒に遊んだり

遊ぶ相手やおもちゃがなくても

木登りしたり、遊びを作ったり

気の向くままに過ごしていたように思います。

 

 

ブログを書き始めて

昔を思い出しながら文章にする中で

あらためて感じたのは

 

おばあちゃんちで過ごした

小学校に上がる前のこの1年に

私の感性は育まれ

心身の血肉となっているのでは

ないかということ。

 

幼少期の体験って

自分が思っている以上に

人生に影響を与えているんだなあ。

 

そう考えてみると

 

どうあれば自分らしくいられるのか

どんな場にいれば自分は心地よいのか

 

わかる気がします。

感覚を取り戻す、思い出す

・・・という感じです。

 

よりいっそう

自分が心地よくいられる

ありかたや場に敏感でいたいな。

 

猫みたいにね。

猫が好き

もともと、私は猫が好き。

 

好きなスポーツメーカーはプーマ。

SNSのプロフィール写真はひこにゃん。

 

猫カフェに行きたくなったのは

マイブームが再来したのか。

 

はっと気づけば

キーホルダーに眼鏡ケース、ペンケースなど

持ち物に猫グッズが増えていました。

 

私の人生で最強の猫キャラを見つけました。

我が家に泊りに来た次女の友達が

連れてきたこの子です。

猫のぬいぐるみ

目ヂカラ半端ない。

私、心をわしづかみにされました。

 

ああ、そうかー。

この子との出会いが

猫ブームにつながってるのかも。

猫カフェで癒やされる

猛暑が過ぎるのを待って、先日

初めて猫カフェに行ってきました。

 

2時間1500円でワンドリンクと

猫のおやつワンカップ付き。

2時間も居るかな?と思ったけど

猫を眺めたり、写真を撮ったり

あっという間に時間がたちました。

 

猫をなでてすっかり癒やされました。

猫は気持ち良さそうに目を細めていますが

気持ちいいのは猫だけではありません。

 

猫をなでながら

娘たちが赤ちゃんだった頃を

思い出していました。

猫のように柔らかな髪に頬ずりしたり

手で髪をなでつけたり・・・。

 

赤ちゃんを抱っこしながら

スキンシップを与えているようで

ぬくもりが必要だったのは

実は、自分自身。

 

今思えば

こどもを育てることで

自分でも気づいていない心の傷を癒やし

心の隙間を埋めてきているのでしょうね。

 

猫カフェ、はまりそうです。

遺品整理をしていたら

伯母の四十九日の法要は

伯母が住んでいた家で行いました。

 

私の母の実家で

年長児の私が預けられた

おばあちゃんちであり

喪主の5歳年上の従姉妹の

実家でもあります。

 

おばちゃんの

相続等の手続きや家の片付けなど

これから従姉妹はいろいろと大変です。

 

従姉妹が

「着物など遺品をもらってもらえるなら」

と言ってくれて

おばちゃんのタンスを覗かせてもらいました。

 

おばちゃんが働いていた時には

私と従姉妹に

着物を仕立てて送ってくれました。

私は20歳前後だったでしょうか。

 

「おばちゃんが年取ったら、(老後の世話を)頼むわな。」

と言われながら

自分の好みでもない着物をもらっても

正直、あんまり嬉しくなかったのでした。

 

もらった着物が高価な紬だと

母からは聞かされたのですが

その価値や良さが、わかりません。

 

ところが

後々、着付け教室に通い始めた私は

おばちゃんからもらった着物にも

袖を通すようになりました。

そのうちに

着心地の違いを感じるようになりました。

 

おばちゃんのタンスには

しつけのついたままの帯や着物があり

その中から

今の私がすぐに使えそうなものを

選ばせてもらいました。

 

そして

あちこちのタンスを覗いていたら

思いもしなかった懐かしいものが出てきました。

 

従姉妹のと、私のと、2つ。

こどもの時に買ってもらった羽子板です。

 

私がおばあちゃんちに住んでいたことを

思い出させるものが残っていたなんて・・・

 

・・・なんて言ったらいいのでしょうか

 

私がこの家に居た、私の居場所だった、

そんな証しが見つかったようで

ほわんと嬉しい気持ちになったのでした。

 

喪中なんて関係ないや。

 

来年のお正月は

おばちゃんの着物を着て、羽子板を飾り

感謝の気持ちを表すことにする。

人生の最期を輝かせる

86歳の伯母が8月2日に亡くなり

四十九日の法要がありました。

 

私をディスった伯母の現在

書いているように

昨年6月に

おばちゃんに会いに行った時は

笑って話ができるくらい元気でした。

 

今年の6月には

おばちゃんの面倒をみている

5歳年上の従姉妹から

おばちゃんの体調が悪いと

連絡がありました。

 

7月に入ると食事が取れなくなり

お盆まで持たないかもということで

病院にお見舞いに行きました。

 

痩せて小さくなったおばちゃんは

スースーと寝息を立てていますが

呼びかけても反応がありません。

きっと、耳は聞こえているはず

と思って、耳元で声を掛けたり

手を握ったりしてきました。

 

そして、お見舞いの1週間後

おばちゃんは亡くなりました。

近親者に見守られての家族葬。

 

おばちゃんの家のお隣りの方が

参列してくださいました。

 

おばちゃんは

共働きしているお隣りの一番下の子の

子守をしてあげていたのです。

 

いつも

おばちゃんの口からこぼれ出たのは

 

「マーは・・・」

「マーが・・・」

「マーを・・・」

 

隣りの家の男の子「マーくん」の話。

おばちゃんの嬉しそうな顔が浮かんできます。

 

子守をしていたのは

定年退職したおばちゃんが故郷に帰って

まだまだ元気だった60〜70代の頃。

 

自分の孫のようにマーくんを可愛がり

こどものいなかったおばちゃんも

楽しい老後を過ごせたのでは

ないでしょうか。

 

そのマーくんは現在、看護師。

 

マーくんのお母さんは

お通夜にもお葬式にも出てくださり

誰よりも目を赤くしていた、その涙で

おばちゃんの人生の最期を輝かせ

見送ってくださいました。

 

本当に別れを惜しんでくれる人がいる

人生だったんだね。

心の声を聴くために

9月に入って少しずつ

秋の気配を感じるようになりました。

 

季節が変わらないのではないかと思ったくらい

厳しく暑かった今年の夏

新しい出逢いがいくつかありました。

 

心理学を学ぶ会に参加したり、

性格についての勉強を始めたり、

個人分析のために

カウンセリングに通いはじめたり。

 

傾聴の仕事を始めて1年。

「もっと、心の声を聴けるようになりたい」

という気持ちが

新しい出逢いにつながりました。

 

 

個人分析を受けようと思ったのは

 

人の話を聴くうえで

受容と共感の妨げになるような

無意識レベルの思い込みや枠を

取っ払いたい

 

というのがひとつ。

 

もうひとつは

 

自分の

コミュニケーションや言葉の癖、

感じ方や考え方の偏りなど

自分が気付いていない

自分自身について深く知りたい

 

からです。

 

誰にでも何かしら

心に歪みがあります。

 

多かれ少なかれ

生活や人間関係に問題を起こす素を

持っています。

 

また、勉強した内容や

感じたことをメモしていきます。

お金とは... by 次女

ひきだしを整理していたら

次女が書いたメモを見つけた。

算数の宿題の合間に書き記したのか。

計算していたら、何か降りてきたのか。

 

どうやら、こやつには

「お金のメンタルブロック」

がないようす。

 

羨ましい限りである。

次女の書いたメモ

愛する人とけっこんしきできるのも

カレカノにプレゼントできるのも

やっぱ金のおかげじゃん?

やっぱ金って...神じゃん?

未完了を遺さない逝き方

夫の祖父が亡くなる1年前。

まだ元気でしっかりしていたおじいちゃんは

3人の子どもに生前贈与をしました。

 

そして、孫である夫にも。

 

社会人大学院の学費に借りたお金を、

おじいちゃんは、夫への贈与として

返済中の残金を帳消しにしてくれた。

 

現金ではなく、

なぜそうしてくれたのか。

 

夫が現金をもらうと

子どもや他の孫からすると

公平でないからなのか、

夫の身内のことなので

本当のところは

私にはわからない。

 

だけど、私は勝手にこう思っている。

 

『きっと、おじいちゃんは

未完了の事柄を片付けておきたかったんだ』

 

借りた方の、

全額返せなかったという想いや

貸した方の、

返してもらえなかったという心残りは、

 

おじいちゃんが

亡くなってしまったら果たせない。

 

おじいちゃんは、遺言状を

何度か書き直していたらしい。

たぶん、生前贈与をした時に

最後の遺言状を用意したんだろな。

 

おじいちゃんの遺産は

遺言状に則って相続された。

 

身内を亡くした家族の心は

悲しい気持ちだけでなく

抑えていた気持ちや隠していた気持ち

いろんな感情で揺れ動く。

 

『きっと、おじいちゃんは

自分と家族の気持ちを整理して

心置きなく逝ったんだ』

 

やっぱり、私は勝手にそう思っている。

 

未完了を遺さない逝き方。

心残りを残さない生き方。

 

天晴れ!おじいちゃん。

おじいちゃん!ありがとう。